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2016年10月24日 (月)

ボルティモアで緊急避難。

先日、メリーランド州に出張した際、ボルティモアのホテルでちょっとした騒ぎがありました。地元消防とホテルとの対応で事なきを得て、先進国でよかったなと感じると同時に、英語がわからないと危ないな、と感じました。

事件発生は深夜、私は翌朝の早朝便でヒューストンに帰るという、その前夜の深夜でした。午前12時半ごろ、火災警報がけたたましく鳴り響きました。そして警報が止まる様子がありません。私はおそらく故障かなにかだろうと、本当に危機的状況ならさらに何らかの動きがあるだろうと高をくくって耳を塞いでベッドで寝ていました。これまで滞在してきたインドネシアやマレーシアのホテルでは警報が鳴ることは日常茶飯事で、多くは故障やいたずらだったので、アメリカでも同じなんだろうと思ってたわけです。

午前1時ごろ、まだ警報は鳴り続けていましたが、今度は部屋のドアを激しくノックする音が。そしてドアが開き「Fire Marshall!」という叫び声。ドアにはキーチェーンをしてましたので消防士は中に入れません。そしたらもうなんだか消防士は大慌てで、声を荒げ、キーチェーンを切ろうとしています。これは尋常ではないと悟り、ようやく服を着てドアに向かいました。ドアの外には酸素ボンベを背負い酸素マスクをした消防士。そのまま、近くにあって唯一手が届いた車の鍵だけをもってすぐに部屋をでました。

6階の私の部屋から非常階段を使い地階に向かいます。非常階段の各階に消防士はいますが、宿泊客はいません。どうやら皆様避難していたようです。

で、、地階から外にでると尋常でない数の消防車、はしご車、そして数十人の消防士がうごめいていました。消防士の半数以上が、酸素ボンベとマスクを装備しています。避難している宿泊客は本当に着の身着のままという人がほとんど。なんだか大変なことが起こった雰囲気です。もしかして火の手がもうもうとあがっているかも、と思い、建物を見上げましたが特に変わった様子はありません。しばらく建物を見ているうちに、外はとても寒いことに気が付きました。摂氏10度前後だったと思います。

一体なんなのかと、宿泊客の間でも良く判りません。と、消防士の一人が、説明するから集まってください、という旨のことを話しながら歩いてきました。気が付いた宿泊客がその消防士を取り囲みます。私も一番前で説明を訊きました。曰く、ホテルの地下にあるボイラーが不完全燃焼により一酸化炭素を排出し、それが空調ダクトを伝わって全館に流入した、現在の濃度は人間が8時間吸入すれば死に至る濃度であり、現在ホテル全員を避難させたうえで各階順番に換気をしているところである、各階、各部屋全ての換気を行い、すべての部屋の一酸化炭素濃度が規定値以下になれば皆さんは部屋に戻れるが、これはすぐに済む作業ではないのでご理解いただきたい、ということでした。

つづいてすぐに、ホテルの授業員から、他のホテルに移りたい方は当ホテルが手配し送迎を行う、また、早朝発の飛行機便の方は空港への送迎と、部屋に残した荷物の発送をホテルが行うから申し出てください、と、アナウンスがありました。

この時に気が付いたのですが、自分で勝手に車を運転してこの場を離れることは厳しく禁止されているようでした。ホテル敷地の出口はひとつしかなく、そこには何台もの消防車がバリケードのように止まっています。この点については宿泊者もなにも文句を言いませんし、だれも自分でよそに行こうとしません。おそらく、一酸化炭素中毒の被害を管理するためなのでしょう。

しばらくすると、ホテルロビーへの入館を許可されました。ソファーがありコーヒーがあり、なにより暖かいのでとても助かります。待っていると、消防責任者のジョン(だったかな?)から逐一進行状況の報告があります。宿泊客は100人ほどいましたが、落ち着いて過ごすことができました。私はスマホを持ってでなかったことをとても後悔しました。

ロビーを見渡すと、東洋人は私と私の会社の日本本社から来た方と、中国人夫婦の4人しかいませんでした。日本から来た会社の方に、どの程度状況を把握しているか訊いてみましたが、何が起こったか全く把握していませんでした。しばらくすると中国人夫婦の旦那さんが私に「中国人?」と英語で訊いてきて、違うと答えると、英語で「火事?」と訊いてきました。ロビーに入って、報告も何回かうけたころでしたが、状況を把握してないようでした。知ってる限りを彼に英語で説明しました(周りのアメリカ人も頷いてました)。こういう時に状況が判らないのはさぞ不安だったでしょう。

最初の状況説明から約2時間後の午前3時に、ようやく部屋に戻って良い旨、指示ありました。当初の説明からすると、意外と早く部屋に戻れた気がして、ようやく安堵しました。まあ、実際は、その日は朝4時に起きて5時に空港に行く予定だったので、そのまま起きてました。

こうしてホテルと消防当局のお蔭で、安全無事にすごせました。先進国でよかったと本当に思います。また、中国人夫婦のことを考えると、こうした時に英語が判らないと状況把握の説明を聞く緒にもつけず、安全保障上危険なことになることを感じました。ともかく無事でよかったです。

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2016年10月 7日 (金)

アメリカ銀行口座開設。

SSNがとれたら、SSNと、会社が用意してくれた書類(細かいことは忘れましたが)を持って、銀行に行き、口座を開設しました。Debit Cardカードが使えるようになり、生活がとても便利になりました。小切手も使えます。せっかくなので小切手帳もつくりました。次はアパート探しです。

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ヒューストンでSSN。

就労VISAをとって米国会社勤めとなったら何をおいてもまずSSN (Social Security Number、社会保障番号/連邦納税者番号)をとることになります。

給与振り込みなどに必要な銀行口座開設にも要ります。銀行口座があればデビットカードも持てるし小切手帳ももてる。口座か小切手はアパート契約にも必要ということになります。テキサスでは運転免許取得にSSNカードの原紙の提示が要ります。旅行者と一線を画す便利な生活を送るためにも先ずはSSN取得ということになります。

ヒューストンにはいくつかSSN OFFICEはいくつかありますが、私の滞在ホテルに近かった南東側の事務所に行きました。事前情報が全くなかったので、最初に到着して困ったのは駐車場でした。構内の駐車場は満車で、周囲の道路も路駐で隙間がありません。もっと早く来るべきだったと反省しつつ、構内の奥のほうにわずかな隙間をみつけ、車をねじ込みました。ちなみに私、学生のころ食材配送のバイトで箱車をぐいぐい隙間に入れていた経験があって、縦列とかぎりぎり駐車には慣れてます。

無事、駐車して本館に向かいますが、既に長蛇の列が建物の外まで延びています。とにかく列にならびました。前後、ヒスパニック系の人たちばかり。アメリカでは私もマイノリティの一員ですのでお互いになーんとなく親近感があります。なーんとなくね。助け合いの精神で、建物の外に立ったまま待っているので、前後の人がトイレに行ったりするときに列の順番を確保してあげたりしてました。列は時々大きく前進し、しばらく10分ぐらい完全にとまり、また大きく前進するという具合でした。

外に立ったまま順番を待って、1時間ほど経ったとき、黒人の体の大きなオフィサーが建物から出てきて、しばらく見渡したかとおもったら、あたかも、私を見つけた!とでもいうように視線をさだめ、私に向かって真っすぐ向かってきました。まさか優待か?

オフィサーの目的はまさに私でした。「サー、銀色のニッサンですか?」ん?最初はわからなかったけど、どうも駐車した場所がまずかったらしい。ほかの車が出られないとかいうことではなくて、なにかゲートを全開にするとあたる場所とのこと。助け合いのお返しをしてもらって列の順番を確保してもらって、車を移動しに行きました。幸い、構内の駐車場が空いていて事なきを得ました。

さらに屋外で待つこと1時間、ようやく室内に入り、番号の書かれた整理券を貰いました。さらに1時間待って、ようやく整理券番号を呼ばれ、窓口に行き簡単な受け答えをし、2週間以内に届くなどなど書かれた紙、窓口の担当官のサイン入り、を貰い、手続き完了です。この紙をもらったら、ほかには手続きは不要ですので、帰途につきました。

1週間後に無事に、封筒に入ったSSNカードが届きました。

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