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2006年4月13日 (木)

キャンティーンの昼食。パパドで考えたこと

ここラングストーンビジネスパークは、色々な会社が事務所を構えている。働いている人種も様々。そのせいか、昼食のキャンティーンは、イタリア料理、肉料理、ベジタリアン料理、そして週替わりだが中華/メキシカン/タイ/インド料理などを選ぶことができる。

本日はベジメニューを選んだ。ベジカレーだ。珍しいことに、インドのせんべい、パパド(パパダム)がついていた。インドにいたころ良く食べていた。良く食べていたというか、このせんべいがなければ、とても食事など出来なかった。

インド滞在当時は私も20代で、若くていつもお腹をすかせていた。インド事務所の昼食は日本人向けには弁当みたいなものが支給されていたのだが、とても足りない。ご飯が2人前食べられることに惹かれ、現地人向けの弁当を食べることになった。例の3段円筒ロケットステンレスピカピカ弁当箱の、底にへばりついているようなカレーの弁当。現地の人が食べるカレーというのは、まるで薬みたいなもので、そこら辺で取れる葉っぱを磨り潰して煮たようなもの。磨り潰しが甘くて葉っぱが沢山残っている。味があるのかないのか、ともかく、それだけではとても食べられるものではなかった。添加物が必須だった。

当時、私は山盛りのご飯に、葉っぱカレーを全部かけ、ラシーンと呼ばれる、サラサラでマズいヨーグルトをかけ、その上に、パパド2枚を手で砕いたものをかけ、混ぜて、食べていた。パパドの塩味が程よく、いや、ほぼ全面的にくちに広がり、おいしく頂くことができていたのだ。

そんなことを、本日の、イギリスはラングストンのキャンティーンでの昼食の後半になって思い出した。半分以上食べるまで、インドでのことなど考えもしなかった。しかし私は無意識のうちに、ベジカレーにパパドを砕いてふりかけてからスプーンですくって食べていた。周りにはきっと奇異に映っただろう。しかし私は極々自然に、パパドを手で砕いて、上手にカレーにふりかけて食べていたのだった。習慣とは恐ろしいものだ。

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