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2006年3月11日 (土)

私たちのイギリス - 本のこと

イギリスに来るにあたり、英国関連本を読んでいないことに気がついた。少しは読んだが今までになく少ない。

Imgp1375 たとえば、インドに行くにあたってはいろいろ読んだ。「私たちのインド」「インドで考えたこと」「インドでわしも考えた」「河童が覗いたインド」などなど。いずれも何度か読んだ。「河童が・・・」はインドへの扉を開いてくれたと思うし、「私たちのインド」は、滞在先に近かったこともあり何度も読んだ。

ロシアの時だって、「ロシア人のこころ」とか、「モスクワ地下鉄の空気(だったかな?)」など、何冊か読んだ。大地とのつながりを感じながら滞在できた。

マバタキ程度の短期で滞在したイランでさえ、小難しい本を何冊か読んだ。彼らがイスラムをいかに誇りとしているかが理解でき、尊重する気持ちになった。

ところが、今回は全然読んでない。イギリスを知るナントカ章とか、歩き方とか、その他雑誌の類しか読んでいない。旅行記や体験記は皆無。「イギリスを知る・・・」で、システム的なことを表面的には理解しているとは思うが、日本人がイギリスに行って考えたことなどといった内容は全く読んでいない。

Dscn0890だが、良く良く思い出してみると、上記インドロシアイランとインドネシアの時は色々読んだわけだが、一方でドイツイタリアオランダなどの時は、今回同様あまり読んではいなかった。イタリアに至っては、ボローニャとかリミニとかパルマとか案外訪問して歩き回っているのに、電車の乗り方とかは判るのに、観光知識はほぼゼロ。 ミラノではガイドブックすら読まないまま、ミラノのホテルを自分で手配して滞在し、無手勝で出歩いて、「この辺りがドゥォーモ観光の中心らしい」と思ったりしていた。

想像がつかない国に行くときは不安で、情報を本に求めたのだろう。想像がつく国は気にもしていない。ネットの普及状況も関係あるかもしれない。ネットにつながれば、滞在先でも最新情報が得られるわけだから不安がない。

本を読んでいく国読まずに行く国から判ることは、つまり、概ね勝手がわかり、ネットが繋がりそうな国なら特に心配なく事前インプットもそこそこで渡航していたということか。気楽なものだ。世界も近所になったものだ。近所かどうかは、物理的な距離ではなく、移動時間や情報伝達時間で測るべき時代だということなのだろう。

(写真はイタリア、ミラノの大聖堂ドゥオモ屋上)

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